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福島家庭裁判所白河支部 昭和41年(家)1260号 審判

申立人 遠藤文子(仮名)

相手方 春日洋一(仮名)

事件本人 春日典義(仮名) 昭和四〇年六月八日生

主文

本件親権者変更の申立を却下する。

申立人を事件本人の監護者と定める。

理由

申立人は、申立の趣旨として、事件本人春日典義の親権者を申立人に変更する、または、申立人を事件本人春日典義の監護者と定めるとの審判を求め、その理由として、

一、申立人と相手方とは昭和三七年一一月二六日婚姻をし、事件本人が昭和四〇年六月八日双方間の長男として出生した。

二、ところが、相手方は、婚姻中酒、麻雀に耽り、家計を顧みない生活態度をとり、そのような生活態度を改めてほしいとの申立人の再三の願いにも改めるところがなかつたので、申立人は相手方と昭和四一年三月二四日協議離婚し、事件本人の親権者を相手方と定めた。

三、しかしながら、相手方は、上記の如き生活態度で、事件本人に対する愛情もなく、親権者としての監護養育の義務を果せないと考えられるうえ、相手方は事件本人を相手方の母春日ツネ、あるいは後妻をめとつてその後妻に養育させるといつているが、相手方の母は嫉妬深く、息子の家庭を破壊するような性格であり、また後妻となる人もどのような性格の人かもわからないのであるから、相手方の許で事件本人を養育させるのは不適当で、事件本人のためにならないと思われるので、この際、事件本人の親権者を相手方より母である申立人に変更してもらいたい、もし右申立が却下されるならば、申立人を事件本人の監護者と定めてもらいたいと述べた。

相手方は、これに対し、事件本人の親権者を申立人に変更すること、または、申立人を事件本人の監護者と定めることには同意できないと述べた。

そこで、当裁判所は、申立人および相手方並びに参考人として玉村ハマ、遠藤アキ、遠藤常治、春日芳夫、三好陽一、遠藤政雄、春日ツネを各審問し、その審問結果に基づき、次のとおり判断する。

一、先ず、本件記録添付の申立人および相手方の各戸籍謄本の記載および上記審問結果によれば、申立人と相手方は、ともに、その本籍地である○○市において母親が助産婦をしていた関係から、同市の助産婦仲間の玉村ハマの仲介により見合いをし、その結果昭和三八年四月三日結婚式をあげ、相手方の当時の勤務先NHK○○支局の所在する○○市にて申立人相手方両名だけで居住するにいたつたものであること(婚姻届は右結婚式に先立つ昭和三七年一一月二六日になされたこと)、そして昭和四〇年六月八日事件本人が出生したこと、しかるに昭和四一年三月二四日協議離婚し、事件本人の親権者を父である相手方と定めたことが認められる。

二、次に、事件本人の親権者を相手方に定めて離婚するにいたつた経緯についてみるに、

上記審問結果によれば、申立人は、相手方が婚姻後職場の上司・同僚と飲酒、あるいは麻雀をして帰宅が深夜になることが度重なつたことおよび相手方の母春日ツネと不仲であつたことなどにより、相手方と婚姻を継続する希望と自信を喪い、相手方がNHK○○支局に転勤となり、○○市に移住した後の昭和四一年二月頃、ついに相手方と離婚する決意を固め、一旦本籍地の両親の許に帰り、離婚届の用紙まで準備して申立人の父遠藤政雄、兄遠藤常治とともに○○市の住居に相手方を訪ね、相手方に離婚の申出をして申立人の父、兄を交えて相手方と協議した結果、相手方も申立人と離婚することを了承し、その際、申立人の父および兄は、事件本人を申立人が引取り養育することは、申立人の将来の生活に重荷となることを慮り、事件本人の親権者を相手方とすることを望み、申立人もこれを諒として反対せず、相手方も自己が親権者となることを希望していたので、ここに事件本人の親権者を相手方とする離婚をすることに協議がまとまり、申立人側の手を経てその旨の届出がなされるにいたつたことが認められる。

三、上記の如く、申立人は、事件本人の親権者を相手方と定めて離婚したのであるが、離婚前本籍地に帰る際連れてきた事件本人が未だ乳児であつたため、右離婚後も自己の手許にて養育していたところ、申立人の離婚後の生活方針が東京においてピアノ教師をして生計をたててゆくことに定まるに及んで、母親としての本能的愛情から事件本人を手離し難くなり、相手方の事件本人を引取る旨の要求を拒んで、離婚後間もなく親権者変更および監護者指定の本申立をしたものである。

四、そこで先ず、事件本人の親権者を相手方から申立人に変更することが民法八一九条六項にいう「子の利益のため必要があると認める」場合に該当するか否かについて判断する。

相手方が事件本人の親権者として不適当であるか否かについてみるに、前記認定のとおり、離婚の際事件本人の親権者を相手方と定めるについては、申立人も十分了承したうえでのことで、しかもその際には、申立人の父および兄も立会つてその意見も聞いたうえで決定したことであるのだから、相手方に特に親権者となるに不適当な隠された事情でもないかぎり、離婚の際の親権者を定める協議が不適当であつたとは認められず、そしてそのような隠された事情は全く認められない。更に、離婚後相手方に親権者として不適当であるような事情が生じたかであるが、親権者変更の本申立は、離婚後あまり経過しない間の申立で、その間に相手方を親権者として不適当とする事情が生じたものとは考えられないうえに、そもそも離婚後も申立人が事件本人を親権者である相手方に引渡さず、その手許で養育してきたため、相手方は離婚後親権者として事件本人を直接監護・養育し、その親権の行使をすることができない状態にあつたのであるから、相手方に、親権の行使において不適当となるような事情が生ずる余地もなかつたのである。もつとも、申立人と相手方とが離婚するにいたつた原因として、申立人が主張するように、相手方が婚姻後職場の上司・同僚と飲酒、あるいは麻雀をして帰宅が遅れることが度重なり、申立人が相手方と婚姻を継続する希望と自信を喪つたことがあげられ、その意味では、かりに申立人に相手方の職場における交際というものについての理解・寛容さに欠けるところがあつたにしても、相手方が有責であつたと認められるのであるが、しかしながら、婚姻中の相手方の上記のような行動から、申立人が主張するように、直ちに、相手方に通常人とは異なつた性格的偏倚があつて、そのために、事件本人の監護・養育をするに不適当な事情が存在したものとも、また現在相手方が事件本人を監護養育するうえにおいて支障となるような品行状態にあるものともいうことはできないし、たとえ相手方がこれまで通常人に比べて飲酒・麻雀・深夜帰宅といつた、いずれかといえば反家庭的な行動をとることが多かつたにしても、上記審問結果によれば、相手方は、身体健康であるうえ、大学を卒業して高度の知識・教養もそなえ、またNHKに勤務していて経済的にも安定した生活ができ、かつ事件本人の養育について抱いている熱意と愛情も申立人に劣るものとはいえないと認められるのであるから、人格的にみても、社会的にみても、相手方が親権者として事件本人を監護養育するのに不適当なところがあるとは認められない。また、もつとも一般的に考えれば、子が幼児であつて、父母が離婚後自己が親権者になることを望んで譲らない場合、母が監護・養育するのを不適当とする特段の事情のないかぎり、母を親権者として監護・養育させることが子の福祉に適合するものということができるが、そのことだけをもつて、父母が離婚に際して協議のうえ親権者を父と定めたのを、親権者として不適当な特段の事情もないのに、母に変更する理由となるものではない。むろん、相手方が親権者として事件本人を監護・養育する場合、事件本人が幼児であり、相手方は、前記のように、NHKに勤務している身であるから、事件本人は、相手方の外に、相手方の母、あるいは相手方が将来再婚した場合(相手方が再婚することは、その年齢・環境からみて十分考えられることである)には再婚した妻の手によつても監護・養育されるものと推測されるのではあるが、相手方の母、あるいは相手方の再婚した妻に事件本人を監護養育するについて不適当な事情が認められないかぎり、上記のことだけで、事件本人を相手方の許で監護・養育するについての不適当な事情が存在するものということはできないし、本件審問結果によるも、相手方の母が嫉妬深く、家庭破壊的な性格の持主と認定するだけに足る証左は存在せず、また、相手方は現在のところ未だ再婚していないのであるから、再婚した場合を予測して、事件本人の幸福を望みえず、事件本人の監護・養育に不適当であると考えるのは早計である。したがつて、事件本人を相手方の許で監護・養育するについての不適当な事情は存在せず、相手方が親権者として不適当であると認めることはできない。

叙上の事情のもとにおいては、事件本人の親権者を一旦協議で定めた相手方から申立人に変更するに足るだけの子の福祉の必要性は認め難く、したがつて、親権者を申立人に変更するのは不相当である。

五、そこで、次に、親権者とは別に、申立人を事件本人の監護者と定めるべきか否かについて判断する。

そもそも親権の主たる作用として子に対する監護・養育が含まれているのであるから、子の監護権は原則として親権者に帰属し、親権者に親権を行使させるについて特段に不適当な事情が認められないかぎりは、親権者をして親権の行使として子の監護・養育にあたらせるのを相当と考えられるのではあるが、極めて例外的には、親権者が親権者として不適当であると認められない場合においても、子の福祉のため、現在の親権者を親権者の地位にとどめたままで、親権者以外の親、あるいは第三者を監護者と定めて、それらの者に子の監護・養育にあたらせることも相当と考えられる場合もないではない。民法が、親権とその主たる作用である監護権の分属行使を認容し、そのための規定を設けているのも、かかる場合をも含めた、子の福祉のために分属行使を必要避けえない場合が生ずることをも予定したものと考えられる。したがつて、それはあくまでも例外的な措置であり、子の福祉のために親権者とは別に監護者を定めるだけの例外的な必要性が認められる場合でなければならない。また、親権者とは別に監護者を定めることは、現に存在する親権者から子を監護・養育する権利を奪うものであるから、親権者の立場というものを無視して決定することはできないし、親権者の立場をも考慮して判断されなければならない事柄でもあるともいえるが、しかしながら、親権というものも、子の福祉を護るため親に認められた特殊の法的地位であり、それはすべて未成熟児のためであるべきことからいつて、親権者の立場というものを考慮するにあたつても、あくまでも子の福祉とのかねあいにおいて判断されるにとどまるものである。したがつて、要は、子の福祉のために、監護者を定めるだけの例外的な必要性が存在するか否かにある。

そこで、本件についてみてゆくわけであるが、先ず申立人側の事情をみるに、上記審問結果によれば、申立人は、離婚に際して相手方を事件本人の親権者とすることを了承したのではあるが、離婚後ピアノ教師として自己の生活設計がたつにつれ、乳児であつたために離婚後も自己の手許においていた事件本人を、母親としてのいわば本能的愛情から手離し難くなり、離婚後間もないうちに親権者変更および監護者指定の申立をし、将来も生みの母親として自己の手許で監護・養育してゆきたいと念じ、その希望と熱意をもつていること(申立人が離婚の際事件本人の親権者を相手方に定めることに同意したことをもつて、申立人に事件本人の養育についての熱意が稀薄であるとは認められない)、そして申立人の現在の生活状況は、離婚後申立人は上京して学生時代下宿していたことのあるピアノ教師の知人宅に事件本人とともに居住し、二、三のピアノ教室の教師などをして相当額の収入を得、その生計をたてており、一応安定したものであること、もつとも申立人の居住関係といい、その職業関係といい、十分に安定したものとはいい難く、また申立人が稼働している関係から事件本人の監護・養育には申立人の母がかなりの程度あたつているものとうかがわれるのではあるが、申立人の両親および東京都内に居住する会社員の兄も申立人が事件本人を養育することを希望し、かつそのために申立人に十分の援助をする意思および能力を持ち合わせていることが認められるので、将来申立人が事件本人を監護・養育するにつきその生活を現在よりも悪化させ、破綻させることは、特段の事情の変更でもないかぎり、ないものと推測され、その生活状況は安定したものといえることなどの事情を認めることができる。

ところで、本件のように、子が満二歳になるかならないかの幼児であつて、父母が離婚したためそのいずれかだけにおいて監護・養育されなければならない場合に、母が子の監護・養育を強く望み、かつ母に子の監護・養育をまかせるに足るだけの生活状況にあり、その間に不適当とするような特段の事情が認められないかぎりは、右のような幼児は、その肉体的・精神的発達のために何ものにもまして母の愛情としつけを必要とするものであるから、母の許で監護・養育されるのが子の福祉に適合するものということができる。そして、本件において、前記の如く、母である申立人が、事件本人の監護・養育を強く希望し、その熱意をもつていること、申立人自身身体健康であり、短大を卒業してかなり高度の知識・教養もそなえ、人格的にみて特別の欠陥・偏倚があるとは認められないこと、その婚姻中の生活態度についてみても特に今後事件本人を養育するうえにおいて支障となるような事情があるとは認められないこと、現在の生活状態も、前記の如く、安定したものと認められることなどの諸事情に鑑みると、申立人が事件本人を監護・養育するに不適当な事情は認められず、むしろ上記の事情および相手方自身には事件本人に対する愛情とその養育についての熱意からと認められるものの、相手方の両親には事件本人が事実上の長男に出生した長男であるという家督相続的な意識もあつて、事件本人の養育を望んでいるものと認められることからするならば、前判示趣旨にてらし、母である申立人に事件本人を監護・養育させるのが子の福祉に必要であると考えられる。もつとも、申立人に事件本人を監護・養育させることになると、親権者である相手方の事件本人を監護・養育する権利を奪い去ることとなり、その結果親権の内容は空疎なものとなり、親権者とは名ばかりの存在と化すおそれがあるが、相手方の親権者としての権利・立場を考慮に入れても、上記事情から考えて、事件本人の福祉のため、相手方は親権のうちの監護権を申立人に譲り、申立人に事件本人を監護・養育させるべきであると考えられる。相手方は、親権者として事件本人を直接監護・養育することがなくとも、親権者としての立場で、事件本人の健全な成長を希求しつつ申立人が事件本人を監護・養育するのを見守つてゆき、もし将来の事情の変動により事件本人の監護・養育に不適当な事情が生じたならば必要な措置をとるというのも、親権というものが子の福祉のためのものであることからいつて、親権者である父親としての一つのあり方ではないかと考えられる。

叙上の事情のもとに考察すると、本件は正しく、子の福祉のため親権者とは別に監護者を定めるだけの例外的な必要性が存在する事案と解されるので、この際、事件本人の親権者は父である相手方にとどめるとともに、母である申立人を事件本人の監護者と定めるを相当と認める。

よつて主文のとおり審判する。

(家事審判官 三宅陽)

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